ミソジニー

東京島」「女王事件」は、内田樹「映画の構造分析」第三章「アメリカン・ミソジニー 女性嫌悪の映画史」のなかで定式化されている。
だがしかし、映画と現実で異なる点がある。映画の構造は「ただ一人の女を獲得した男は、結局女を捨てて男たちのもとへ帰ってくる。男たちの共同体は原初の秩序を回復し、女は不幸になる。おわり。」となる。しかし、現実に起きた事件では「女と結ばれた男は謎の死を遂げ、女は次々と新しい男と結ばれる」という点である。
 このことから、アメリカ映画は、男の願望を正しく映し出している、といえる。現実には成就しないからこそ、願望は強い力となってストーリーを支配するのだ。まあ、ハリウッド映画は、男が作った、男に都合のいい話なのだ、とあらためて確認する結果になった。