メモ:「音響と映像のエレメント」

以下は11月16日に行われた公開講座
京都造形芸術大学大学院院長:浅田彰教授と比較藝術学研究センターによる連続公開講座『アサダ・アキラ・アカデミア』
音響と映像のエレメント
池田亮司+カーステン・ニコライ
レクチャー・パフォーマンス 
http://www.kyoto-art.ac.jp/graduate/information/101102-001804.html
のメモです。極めて断片的です。肝心要の、位相の違いから図形を描画するプロセスがよくわからなかったりするのですが拙速でさらしておきます。

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ステレオ左右の音の位相のずれを図形的にチェックするための、レコード以来つかわれている仕組みを紹介。意図的に位相をずらすとどうなるか?また正弦波、矩形波ならどうちがうのだろうか?この図形と音の関係を探り、カタログを作るのに10年を費やした。
「音と映像のつなげ方が、主観じゃなくて波形に基づいた数学的・物理的なものであるところがおもしろい」(浅田)
「音楽には形式・構造が重要」「notationは数学的には美しくない」(池田)
数学的美しさとnotationの美しさの対立が一つの軸であり、何度か強調された。
ただし基づいているものが違う(notationに基づいている)だけで、現代音楽につながるクラシック音楽も論理的に構築されている。
「今はボキャブラリーを作って、音楽にしようとしている状態」(池田)
そのボキャブラリー(音とそこから生成された図形の対応関係)をまとめて書籍として出版するそうです。
「耳ではわからない差異も、視覚的な助けを得て知覚できる」
「これ以上細かくすると持続音に聞こえてしまうぎりぎりの聴覚的な最小単位を探っていった。」
「数学的な、図形的な美しさがある場合の音が綺麗な音になるとは限らない。図形と音の関係を探る中で、我々の美意識も更新されたかもしれない。何が不快なのか、何が美しいのか、という基準も可変的である」
「普段は聴けなかった周波数にも注意を払うようになり、知覚も変容しているかもしれない」

以下はQ&Aより。
<語彙から曲を作る上で、ビートを付けた意図は>
ニコライ・池田「ビートは繰り返し聞くに耐える、クラブユースの音楽にするうえで必要である。ビートが無い現代音楽風な作曲技法では、あまり聴かれないものになる」

<プレゼンテーションのなかで言語のメタファーが頻出したことについて>
ニコライ・池田「言語(の構築)を考える上でアーティスティックな考えからは離れた方がよい。アーティスティックな、恣意的なものではなく、ユニバーサル(普遍的)なものを意図した。発明したものというよりは、すでにあるモノを発見したという感覚。この図形を導くに当たって、音の位相・周波数・波形を用いた。我々が発見していなくても他の人が発見していてもおかしくないものだと考えている。そのメタファーとして「言語」と呼んでいる。」
「ただし人間原理不確定性原理の立場からすれば普遍的というのはナイーブかもしれない」
浅田「数学的・物理学的、論理的アプローチをとることで、かえってアクセシブルになった」

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浅田先生はニコライさんの通訳と司会を兼ねていたため、いつものマシンガントークは不発に終わり、聴いている側としてはあまり疲れないですみました。